さて、企業の後継者の「コミュニケーション能力」についてのお話が続きます。
前回は、後継者のコミュニケーション能力を、社長の懸念という
視点から眺めてみましたが、今回は後継者側の視点から考えてみようと思います。

恥ずかし気もなく自分史の一部を晒すお話になりますが、ご参考になれば幸いです。

~~ 実は私、後継者だったのです ~~

後継者からの視点で、とお話する背景として、私自身が後継者だったということを
打明けておきたいと思います。(別に隠し立てしていたわけではありませんが)

私の父は有限会社 山秀安藤商店という小さな菓子の問屋と小売をしている
会社の3代目でした。
有限会社とはいっても、父が近所の小さな小売店や駄菓子屋に菓子を配達する
問屋業に勤しみ、住まいと家屋を共にする小売店は主に母が切り盛りし、
祖母はタバコ売り場のカウンターの後ろで暇な店番をしているという、
典型的な3チャン会社(=家族経営)でした。

3チャン~の由来は、父ちゃん、母ちゃん、婆ちゃんでやっている「さんちゃん農家」
です。今や死語かもしれませんね。問屋の仕事の方では、2人くらい人を雇って
力仕事をこなしていた記憶があります。

小売の方は、パッケージや袋入りの菓子と一緒に、グラム売りの飴玉や、
一枚単位で売る煎餅なども店先に並んでいました。
そんな記憶が残っているのは昭和40年代前半です。

今でも記憶に鮮明なのはコカ・コーラを売り始めた時のこと。
日本への上陸は公式記録では1957年で、私の誕生年なのですが、私の記憶にある
ということは、安藤商店で店に冷蔵庫を構えて扱う様になったのは、数年後の
ことなのでしょう。
茶の間のテーブルの真ん中にコカ・コーラが置かれていて、それを父、母、祖母、
姉で囲んで、珍しそうにしげしげと眺めている風景。

味見をした祖母が「薬みたいだね!」
母が「こんなもん売れるのかね!?」
そんなセリフが記憶の片隅にあります。

余談はさておき、
父は菓子店という職業を早くから見切っていました。
スーパーマーケットという新たな小売業態が菓子を扱っていく現実を
見ていましたし、菓子屋業が衰退するということは小さな菓子問屋の
役割も早晩不要になる、ということを予見していたのでしょう。

ですから、父母は私に自営業ではなく、まして菓子の小売りではなく、
勤め人になることを強く願っていました。
母の生い立ちは、広島(福山)の医者の娘で良い暮らしをしていた
ようなのですが、空襲で実家を全てを失い、兄を戦争で失い、姉と一緒に
命からがら逃げて来た東京で父との縁が出来て安藤家の嫁にきました。

「商人の家に医者の娘などいらん!」とお舅(しゅうと)さんからかなりの
イビリを受けたそうで、そんな反発もあってか、私を医者にするという夢を
持っていた人でした。まぁ、この教育方針の功罪は語れば色々あるのですが、
もう他界しているので、この程度の内輪話は許してくれるでしょう(笑)
また話が逸れましたが、私への父母の期待に表れたように、

「山秀安藤商店は自分の代で廃業する」というのが父の意志でした。

後年、私と同じように父の代で廃業した経験を持つ人と、共通の話題に
花が咲くことがありました。業種でいえば、クリーニング店、時計店、
薬屋さん、写真館を兼ねたカメラ屋さん、文房具店、など、昔はどこの
商店街でもみかける店舗でしたね。

~~ 先代社長の思いを聞いていなかった後悔 ~~

結果、私は勤め人として社会に出て、外資系コンピューターメーカーの
営業職に就き、それをキャリアの基盤として、その後会社は数多く変わったものの、
現役引退の64歳まで勤め人でした。

確かに、菓子小売店の将来は無かったかもしれません。
実際、晩年の売上の殆どを占めるのはタバコと飲料の自販機という状態でした。
ちなみに、菓子業に見切りをつけた父母は喫茶店を開業し、店はその後近所の
常連さんが集まるスナックと化し、お友達と過ごす楽しい日々が仕事となるような
状態で70代後半まで現役で働きました。
父は今年93歳、頭も身体も健在です。

またまた話が逸れましたが、お伝えしたいことは、
自分が勤め人として定年を迎えたことは幸せに思うし、「お前は勤め人になれ」
という父の声がけも覚えているのですが、
私から父の思いを訊ねたことは無かったということです。
仕事を選ぶ時期が来た時、「もうお菓子屋さんは儲からないね」
というようなことを父に言った記憶はありますが、
父の本音、本心を私から直接尋ねた記憶がないのです。

例えば、

  • 何故、父さんは菓子屋業の後を継いだのか?
  • 菓子屋として楽しかったこと、辛かったことは?
  • そして、廃業にあたって誇りに思うことは?(これはカッコ良すぎて聞けないかも)

等です。

親の職業の系譜を自分が断つ以上、このくらいの先代への思いは聴いておくべき
だったろう、という少しの後悔です。

~~ 小さくても、経営にはパーパス(目的)がある ~~

昨今、日本のお菓子は海外から人気を集めているようです。
美味しい。可愛い。パッケージも綺麗で清潔、面白い、と。
お菓子の詰め合わせを海外に送るサブスクリプション事業がヒットして、
数十億の年商を上げている会社もあるようです。

1970年代の自分には想像もつかないビジネスモデルですから、私が
「菓子の小売業にこの商機あり!」と父の仕事を継いだ可能性はないでしょう。
しかし、父が3代目として菓子業を継いだ志(こころざし)は知っておくべきだった
と思うのです。
今風に言えばパーパス経営ですね。
繰り返しになりますが、
何故、父は山秀安藤商店を継いだのですか?と。

祖母が存命の頃に聞いた話では、2代目(私の祖父)は、戦後の菓子どころか
食料難で大変な時期に、
人々が甘い物を口にして幸福感や元気をもってもらうことを仕事の志
としていたそうです。

父の代でも、母は店に来る子供たちを暖かく見守っていましたし、町内会の祭りの
時期になると、神社で子供たちに配る詰め合わせ菓子を一家総出の流れ作業で
袋詰めしていました。
お菓子がもたらす楽しさ、幸福感を提供したいという志は、間違いなくあったと
思うのです。

結果的に勤め人になりましたが、父や祖父の志を聞いていれば、外資系IT企業
一本槍で邁進してきたキャリアのある時期に、ひょっとしたら違う価値観で
自分の仕事を俯瞰してみることがあったかもしれません。

~~ 先代の「思い」と「情熱」を知る大切さ ~~

実は、この様な考えがあって、近々リリース予定の
「新任社長のためのコミュニケーション ワークショップ」という
研修プログラムでは、研修開始前のオリエンテーションで
「先代の履歴書」というものを、現社長(あるいは先代社長)と後継者で
共有する時間を設定しています。

「先代の履歴書」は、ご想像の通り、日経新聞に1956年から連載されている
「私の履歴書」からのパクリです。

あれだけの文章量は執筆できませんが、私が現社長から1時間ほどお話を伺って
数ページの書き物にします。
要するに先代の「思い」や「情熱」の言語化のお手伝いです。
そして、これを元に後継者や新社長の方々に先代社長とオープンで深い会話をする
機会を促すことが狙いです。

前回のブログに、
「社長は事業を引き継ぐ新しいリーダーに、積極的に変えて欲しい事と、
守って欲しい事について、後継者と長い時間をかけて本音で対話し、納得し、
合意しておかなくてはならない。」
ということを書きましたが、これを後継者の方から先ず働きかける、
すなわちコミュニケーションをとって欲しいと思うのです。
会社のパーパスを再認識する機会です。

ある後継者(現社長の息子さん)の方に「先代の履歴書」の内容をご紹介すると、
「会社をどうしていくか?」という話題は折に触れて父親とすることはあるが、
父親がどんな思いで事業を興したか、あまり細かく聞いたことはない。
とても興味深いことに思う、とのコメントを頂きました。
我が意を得たり、と思いました。

また、研修とは別にこの「先代の履歴書」を単独で切り出して、社長(70歳近い方)に
提案してみたところ、1時間をゆうに超え、2時間近く創業時からの思い出を語って
くれました。数ページでは収まらない分量と熱量です。
思い、情熱、願い、希望、懸念、は沢山持っていらっしゃいました。

これは私の杞憂かもしれませんが、現社長と後継者、先代社長と新任社長、
の関係性が、ご家族である場合、この企業パーパスについての会話が十分に
為されていないことが、少なからずあると思っています。

家族だから、、、
敢えて言葉にしなくてもいいよね、
思いは分かり合えているよね、
背中を見てきたよね、
と・・・、

細かく、丁寧な、そして必要なコミュニケーションが必ずしも築かれているわけでは
ないのに、「分かり合えている」と思い込んでいるのかもしれません。

いやいや、それが血縁というものだし、家族だから大丈夫だよ。というご意見も
頂きますが、引継ぐものが「事業」ですから、
その背景、歴史に込められているものを、ちゃんと理解しておくことはとても意義の
あることだと思うのです。

後継者になる可能性を最初から放棄していた私でさえも、先代の思いを聞いておくことの
大切さを今更感じるのですから、まして真の後継者となれば先代の志に思いを馳せる
ことは必然とも思えます。

そうした、大切なものを手放す立場にある人と、それを引継ぐ立場にある人の間の
コミュニケーションが深く、暖かいものになるためのお手伝いができれば嬉しい
限りです。

今日のお話はここまでです。
最後までお読み頂きありがとうございます。

株式会社ドリームパイプライン 代表取締役   1980年、新卒で日本NCR株式会社にてキャリアをスタートし、以来一貫して外資系IT企業に勤務。   営業、営業企画、マーケティング、製品開発、製品管理、市場開発、米国本社勤務、事業部長、等の領域でマネジメント職を経験。   2001年、日本NCRを退職後、米国、ドイツ等を本社とする大手IT企業数社の日本法人にて要職を歴任。    2013年より、組織の人材育成、組織活性化のためにコーチングを学び始め、プロフェッショナルコーチ認定資格を取得。修得したコーチングスキルを多様な価値観が求められる外資系IT企業におけるマネジメントに活用しながら(社)日本スポーツコーチング協会の認定コーチとして、高校、大学のスポーツ指導者へのコーチング活動を実施。   2015年から、米国のスタートアップ企業の2社の日本代表を歴任し2021年12月退任。人材育成支援を目的とし、株式会社ドリームパイプライン設立。 著書 『ニッポンIT株式会社』   https://www.amazon.co.jp/dp/B09SGXYHQ5/    Amazon Kindle本 3部門で売上一位獲得    「実践経営・リーダーシップ」部門、「ビジネスコミュニケーション」部門、「職場文化」部門

2件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ブログ、大変興味深く読ませていただきました。知らなかったことばかりで、面白かったです。先代の思いを聞いておかなかったと後悔しているような書きぶりですが、お父さんは元気なのだから、先代への思いは今からでも聴けると思います。お父さんが現役を引退しておられるかもしれませんが、安藤君は現役なのだから、今からでも遅くはないと思いました。お父様を少しだけ知っているということで、踏み込みました。

    • いつも応援ありがとうございます。
      そうですね。父も引退してから久しいですが、頭がしっかりしているうちに聴いてみます。自分のキャリア云々は別にして大切なことですね。

      ※コメントは実名とメールアドレスで頂いていますが、逐一私の方で公開の承認をする際に、基本的に匿名へ変更、メールアドレスは非表示にさせて頂いております。

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